長女が赤ちゃんの頃、私がどんなに抱っこしても泣き止まない日が続いていた。
一生懸命あやしても、笑ってくれない。ようやく落ち着いたかと思えば、
「ママいや」「ばぁばがいい」「パパがいい」と言われる。
胸の奥にズキンと痛みが走る。
子ども相手に傷つくなんて大人気ないと自分でも思うけれど、
悲しさと悔しさは、日に日に積み重なっていった。
“なんで私じゃダメなの?”
“どうして他の人には笑うのに、私には泣くの?”
そんな気持ちが、心の中でどんどん膨らんでいった。
そして私は、娘に対して、
愛しさよりも悔しさのほうが大きくなってしまっていた。
正直に言うと、娘が憎らしく思えたこともある。
たまに甘えてくると、素直に喜べなかった。
「どうせまた“ママいや”って言うくせに」と、心を閉じた。
自分じゃ泣き止まないのに、夫が抱くとすぐに寝る
私がどんなにがんばっても寝なかったのに、
夫がだっこすると、すやすや寝る。
ご機嫌な赤ちゃんになる。
義母にもすごく懐いて、夫は私たちを週に4日は実家に連れて行った。
義母は本当に優しくて穏やかな人。
娘はいつもべったりだった。
ばぁば、ばぁば、と満面の笑みで義母に笑いかける。
夫の実家にいる時、私は透明人間になる。
帰る時は、いやぁぁぁあ!と泣き叫んで、
チャイルドシートの上で暴れた。
片道15分の道のり、ずっと泣き続ける。
家に着く頃には泣き疲れて静かになる。
それが、2歳くらいまで続いた。
気分の波が激しくて、繊細で、泣き虫で
長女は、のんびりやでマイペース。
だけど、気分の波がとても激しかった。
不満が多く、すぐに「嫌」と言う。
赤ちゃんの頃は泣いてばかりで、
しゃべれるようになってからは、文句ばかり言っていた。
車に乗ると、
「暑い」「寒い」「眩しい」「痛い」「きつい」
と、ずっと不機嫌だった。
ちょっとした一言で怒り、泣く。
私のイライラや焦りが伝わるのか、
私じゃなかなか泣き止まず、
夫がいると穏やかになる。
私は泣いて、怒って、
「もううるさい!泣き止んで!」
「泣き止んでよ!助けて…」
と叫ぶような日もあった。
負の感情が共鳴して、
私も娘も、どちらも苦しくなっていた。
ある日、娘が牛乳をこぼしただけで、私は激怒した。
自分の怒りを全くコントロールできず、
「なんなのよもう!なんでこんなことするの!私にいやがらせしてるんでしょ?!」
と、思いつくままに怒鳴ってしまった。
娘は怯えて泣いていた。私も泣いていた。
今思えば、あれは育児ノイローゼだったのかもしれない。
心の余裕が一切なくなっていた。
ママいや、と言われ続けた記憶が消えない
夫は、私を馬鹿にした。
「なんで泣き止ませられないの?」という目。
義母との違いを、夫や周囲から見せつけられているようだった。
私だけの赤ちゃんのはずなのに、
私を拒絶する娘。
その記憶は、娘が9歳になった今も私の中に強く残っている。
執念深いかもしれない。
でも、あの頃の悔しさ、惨めさ、悲しさは、
今でも私の中に、静かに残っている。
今もときどき、暗い感情が出てくるけど
今も、ときどき娘に対して暗い感情が出てくる。
イライラしたり、冷たくしてしまうこともある。
でも、それでも私は、娘を愛したい。
だから、できるときは、ぎゅっと抱きしめる。
娘は、嬉しそうにじっとしている。
きっと、微妙な距離感を娘も感じ取っているのだろう。
最近では、無邪気に甘えてくることも少なくなった。
わがままも、言わなくなってしまった。
私がそうさせてしまった。
だから、抱きしめる。
ごめんねの意味も、ありがとうの意味も込めて。
「大きくなったなぁ」
「優しい子に育ってくれたな」
「私の顔色を伺うようになってしまったな」
ごめんね。
ちゃんと大切なんだよ。
それは、本当。
生まれたときから、今までずっと。
心が折れそうなあなたへ、伝えたいこと
もし今、子どもに優しくできない自分を責めて苦しんでいるお母さんがいたら、
「こんなふうに、うまくいかない母親もいるんだよ」と伝えたい。
毎日笑顔でいられる母親ばかりじゃない。
泣いたり怒ったり、自分でも嫌になるような感情を子どもにぶつけてしまうこともある。
それでも、子どもはちゃんと私たちを見ているし、愛してくれている。
少しずつでも向き合おうとする気持ちがあれば、
きっと大丈夫だと、私は信じたい。
読んでくれてありがとうございました。
今同じような気持ちを抱えているあなたの気持ちが、少しでも救われますように。
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