子どもが好きじゃない私が、保育士の資格を取った。
苦手を隠して、笑顔で働いて、それでも「向いてない」と気づくまでに何年もかかった。
これは、そんな私が「辞める」と決めた理由と、最後に背中を押してくれた人の話。
※この記事は、資格を取ったあと保育士として働き始めた私が、
向いていないと感じ、退職を決断するまでの正直な記録です。
今、保育士として悩んでいる方、自分を責めてしまっている方に、届いてほしいと思って書きました。
笑顔の裏の本音
スプーンで離乳食をすくって、子どもの口元に差し出す。
でも、その子はかたくなに口を閉じたまま。
心の中では、「じゃあもう何も食べるな!」って怒鳴ってた。
でも、顔は笑ってる。「ほら〜、おいしいよ〜」って。
私はそのとき、自分が分裂しているような感覚だった。
お昼寝中おもらししてしまった子。
せっかくみんなが眠ってくれて、書類も終わって、やっと休憩できると思ったのに。
「何やってんの!?自分で着替えてよ!」心の中で叫ぶ。
でも言葉に出したのは、「大丈夫?冷たかったね。さぁ、おいで」
優しい声。嘘の自分。他の保育士にバレないように。
異物のような自分
他の先生たちは、ほんとうに子どもが好きなんだと思う。
子どもたちを見守る目がやさしくて、まっすぐで、まるで宝物を見るみたいに。
「わぁ、すごいね!そんなこともできるようになったんだねー!」
って、本気で嬉しそうに言う。
「ね、さつき先生?」って話をふられて、私はまた仮面をかぶる。
「ホントですね〜」って、笑顔で返す。
本当は……気づいてもいなかった。ただ、興味がなかっただけ。
私は保育士の中で、自分だけが異様な存在に思えた。
子ども嫌いで、意地悪で、利己的で、打算的で。
歌や踊りをするのが恥ずかしい。
子どもの目線に立って、なんて、絶対無理。
園庭の貝殻なんかいらないよ。キレイだねって言ってあげるけど。
最初は、うまく溶け込めると思った。
苦手なりにも、子どもたちが好きそうな手遊びを練習したりもした。
でもそれは、子どもを喜ばせたいのではなく、「できない人」と他の保育士に思われたくなかったから。
子どもには、そういうの全部、伝わるんだよね。
あの子たちは、何でも見抜いてくる。
私が絵本を読んでも、誰も聞いてくれなかった。
同じ声色で、ちゃんとリアクションして、笑顔も作ってるのに。
他の保育士が読むと、子どもたちは目をキラキラさせて、夢中で聞いてる。
なんで?私は何が違うの?
劣等感。嫉妬。恥ずかしさ。
子どもが寄ってこない。私も好きじゃないけど。
でも「子どもに好かれてない人」だと思われるのが嫌で、
だからこそ、寄ってこない子どもたちに苛立ってた。
こんなに優しくしてあげてるのに、なんなのよ!って。
そもそも、向いてなかった
そんな私が、保育士の資格を取ったのがおかしかったんだ。
子どもが苦手な自覚はずっとあった。
自分の子どもでさえ、うまく育てられてないって思ってた。
小さい子をどうやって喜ばせたらいいのかわからない。
なぜ泣いてるのか、見当もつかない。
わがままを言われるとイラッとするし、一緒に遊ぶのも楽しくない。
公園でただ見守ってる時間が、苦痛だった。
何を考えてるのかわからない。理屈も通じない。
何もできないくせに自己主張だけは激しい――
子どもって、そんなふうに見えていた。
それでも、「せっかく資格取ったんだから、使わなきゃもったいない」
そう思って無理して働いた。
苦手なことを隠して、「可愛い〜」って周りに合わせて言った。
自分に嘘をついて、働き続けた。
お遊戯会。
保育士として、子どもたちの前で踊らなきゃいけない。
恥ずかしくてたまらなかった。
あんな幼稚な動きを、大の大人がするなんて――
そう思ってる私が、一番幼稚だったのかもしれない。
大人になりきれなかった私。
自分を偽って、少しでも高い時給のために頑張って。
でも、心はずっと叫んでた。
「私、向いてないんだよ」って。
最後の一押しをくれた人
でも――
私が辞める決心をしたのは、ある一人の保育士さんの存在だった。
同い年だったけど、心から尊敬できる人だった。
子どもたちのことを、いつも真剣に考えてた。
その子の性格や背景、親との関係まで丁寧に配慮して、どんな接し方が一番その子にとって良いのかを常に考えていた。
彼女はいつも残業してた。
休日出勤も当たり前。
誰よりも働いて、誰よりも子どもたちに真摯だった。
なのに、私のことを、なぜかまっすぐ信じてくれてた。
「いつもありがとう。助かってるよ」
そう言ってくれるたびに、私はいたたまれなくなった。
私の嘘が、上手になりすぎてたんだと思う。
こんな私が保育士を名乗るなんて、この人に失礼だと思った。
そして、子どもたちにも失礼だと。
私なんかに保育された子どもは、本当の愛情なんてもらえない。
あるのは、作られた笑顔と、冷めた目線だけ。
保育園にいる時間は、家にいる時間より長い子もいる。
その大切な時間を、私のような人間と過ごさせるなんて――
きっと何らかの悪影響がある。そう思った。
だから私は、やっと決められた。
辞めよう。もう二度と、保育士を名乗らない。
尊敬する保育士との出会いが、
本物の保育を知るきっかけになった。
そして、私に、やっと「やめてもいい」と思わせてくれた。
自分を守るという選択
結局、私は保育士をやめた。
そしていま、やっと素直に言える。
私は子どもが苦手だった。
保育士に向いてなかった。
それでも、無理して頑張った時間があった。
私はもう、保育士を名乗ることはありません。
でも、あの頃の私のように悩んでいる人がいるなら、伝えたいことがあります。
子どもが苦手でも、保育士を辞めても、それは逃げじゃありません。
無理して笑い続けなくても、無理して「好きなふり」をしなくてもいいんです。
向いてないと思ったら、やめてもいい。
自分の心が壊れてしまう前に、自分の気持ちを大切にしてください。
保育士という仕事は、すごく大変で、すごく尊い。
だからこそ、自分を偽ったまま続けるのは、苦しすぎる。
頑張っている人ほど、自分を責めてしまうけど――
あなたが無理をしているなら、それは誰のためにもならない。
やめることも、勇気ある選択です。
私は、そう思っています。
読んでくださって、ありがとうございました。
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