かわいいと思えない、我が子との関係に苦しんだ日々

「我が子をかわいいと思えない日がある」
「愛したいのに、愛せない」
「子どもに嫌われてる気がする」

そんなふうに感じて、自分は母親失格なのかもしれない――と悩んでいる方へ。

私も、ずっとそうでした。
娘がまだ赤ちゃんの頃から、育てにくさを感じていて、
「ママいや」と泣かれるたびに、私はどんどん自信をなくしていきました。
優しくできない、イライラしてしまう、抱きしめることさえ素直にできない――

でも今、少しずつ思うようになったんです。
あのときの「ママいや」は、私を嫌っていたんじゃなくて、
娘なりの小さな自己主張だったのかもしれない、と。

この記事では、母親として苦しかった私自身の体験を、
あえてマイルドにせず、そのままの言葉で書いています。

同じように悩んでいる誰かが、少しでも「自分だけじゃない」と思えたらうれしいです。

嫌われてる? 私が産んだのに。


一生懸命あやしても、笑ってくれない。ようやく落ち着いたかと思えば、
「ママいや」「ばぁばがいい」「パパがいい」と言われる。

胸の奥にズキンと痛みが走る。
子ども相手に傷つくなんて大人気ないと自分でも思うけれど、
悲しさと悔しさは、日に日に積み重なっていった。

“なんで私じゃダメなの?”
“どうして他の人には笑うのに、私には泣くの?”

そんな気持ちが、心の中でどんどん膨らんでいった。

そして私は、娘に対して、
愛しさよりも悔しさのほうが大きくなってしまっていた。

正直に言うと、娘が憎らしく思えたこともある。
たまに甘えてくると、素直に喜べなかった。
「どうせまた“ママいや”って言うくせに」と、心を閉じた。

自分じゃ泣き止まないのに、夫が抱くとすぐに寝る

私がどんなにがんばっても寝なかったのに、
夫がだっこすると、すやすや寝る。
ご機嫌な赤ちゃんになる。

義母にもすごく懐いて、夫は私たちを週に4日は実家に連れて行った。

義母は本当に優しくて穏やかな人。
娘はいつもべったりだった。
ばぁば、ばぁば、と満面の笑みで義母に笑いかける。

義母も娘をとても可愛がってくれ、幸せそうに笑っている。

夫の実家にいる時、私は透明人間のよう。

帰る時は、いやぁぁぁあ!と泣き叫んで、
チャイルドシートの上で暴れた。

片道15分の道のり、ずっと泣き続ける。
家に着く頃には泣き疲れて静かになる。

それが、2歳くらいまで続いた。

気分の波が激しくて、繊細で、泣き虫で

長女は、のんびりやでマイペース。
だけど、気分の波がとても激しかった。

不満が多く、すぐに「嫌」と言う。
赤ちゃんの頃は泣いてばかりで、
しゃべれるようになってからは、文句ばかり言っていた。

車に乗ると、
「暑い」「寒い」「眩しい」「痛い」「きつい」
と、ずっと不機嫌だった。

ちょっとした一言で怒り、泣く。

娘の泣き声は、なぜだか無性に私を苛立たせる。よその赤ちゃんの泣き声はなんともないのに。

ぎゃあーーー!と、この世の終わりのように泣く娘。
泣き声を聞きたくない。
一刻も早く泣き止んで欲しい。

私のイライラや焦りが伝わるのか、一向に泣き止まない娘。

私は叫ぶ。
「もううるさい!泣き止んで!」
「泣き止んでよ!泣くな!!!」

負の感情が共鳴して、
私も娘も、どちらも苦しくなっていた。

ある日、娘が牛乳をこぼしただけで、私は激怒した。
自分の怒りを全くコントロールできず、
「なんなのよもう!なんでこんなことするの!私にいやがらせしてるんでしょ?!」
と、思いつくままに怒鳴り、わんわん泣いた。

娘は怯えたような顔で私を見て、そして激しく泣いた。

今思えば、あれは育児ノイローゼだったのかもしれない。
心の余裕が一切なくなっていた。

無理解な夫

夫は、私を馬鹿にした。
「なんで泣き止ませられないの?」という目。

「ママいやだよねー、パパがいいよねー」
と、娘を抱っこしながら、疲れ果てた私を見て笑う。

夫に抱っこされ、娘は落ち着いている。
リラックスして甘え、「パパがいいー」と言う。

「ままイヤ」「パパがいい」「ばぁばがいい」

何百回と言われたように思う。
言われるたび、私の心はじくじく傷んだ。

ママいやと言われた記憶がどうしても消えない

そんな娘も、成長するに連れ、少しずつ、「ママいや」や癇癪はおさまり
激しく泣くこともなくなっていった。言葉で自分の気持ちを伝えられるようになったからだと思う。

でも――
赤ちゃんの頃から、私の泣き声や怒鳴り声を聞いて育った娘は、
いつしか私の顔色を伺うようになってしまっていた。

そして私も、心の奥に残ったわだかまりを完全には消せず、
娘を手放しで愛することが、いまだにできていない。
どこか距離を感じてしまう。

執念深い私。いいかげん忘れたらいいのに。
どんなに忘れようと思っても、あの頃の悔しさ、惨めさ、悲しさは、
今でも私の中に、静かに残っている。

私だけの赤ちゃんのはずなのに、
私を拒絶する娘。
その記憶は、娘が9歳になった今も私の中に強く残っている。

今もときどき、暗い感情が出てくるけど

今も、ときどき娘に対して暗い感情が出てくる。
イライラしたり、冷たくしてしまうこともある。

でも、それでも私は、娘を愛したい。

だから、できるときは、ぎゅっと抱きしめる。
娘は、嬉しそうにじっとしている。

きっと、微妙な距離感を娘も感じ取っているのだろう。

無邪気に甘えることができない娘。
わがままも、あまり言わなくなった。

たまに、私からの愛情を確かめるように、不安そうにつぶやく。

「わたしのこと、だいじ?」

私は申し訳なさでたまらなくなる。

だから、抱きしめる。
ごめんね、こんなママでごめんね。いてくれてありがとうね。

「大きくなったなぁ」
「優しい子に育ってくれたな」
「私の顔色を伺うようになってしまったな」

ちゃんと大切なんだよ。
それは、本当。
生まれたときから、今までずっと。

心が折れそうなあなたへ、伝えたいこと

もし今、子どもに優しくできない自分を責めて苦しんでいるお母さんがいたら、
「こんなふうに、うまくいかない母親もいるんだよ」と伝えたい。

毎日笑顔でいられる母親ばかりじゃない。
泣いたり怒ったり、自分でも嫌になるような感情を子どもにぶつけてしまうこともある。
それでも、子どもはちゃんと私たちを見ているし、愛してくれている。

少しずつでも向き合おうとする気持ちがあれば、
きっと大丈夫だと、私は信じたい。


読んでくれてありがとうございました。
今同じような気持ちを抱えているあなたの気持ちが、少しでも救われますように。

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